組織理念

組織理念

大家族主義

大家族主義とは・・・
会社を同じくして働いている私たちは、起きている時間に限れば、家族とよりも多くの時間を共有していることになる。
私たちは運命共同体であり、家族のようなものなのだ。
しかしながら、実際には私たちは家族ではない、他人同士の集まりだ。
本当の家族であれば、「世代の差」、「性格の差」、「性別の差」、この三つの壁を、当たり前のようにクリアしているはずである。
この三つの壁を、なかなかクリア出来ないのが運命共同体であるにも関わらず本当は家族ではない私たちなのである。
私たちが、心を合わせ、ベクトルを合わせ、高い(!)目標にチャレンジしてゆくには、「世代の差」、「性格の差」、「性別の差」、この三つの壁を、当たり前のようにクリアする〈家族のような信頼関係〉を目指さなければならない。
それには、単なる『家族主義』では足りない。
『大』でも付けて、『大家族主義』とでもしなければ、そのような強い意思(※1)と行動(※2)がなければ、〈家族のような信頼関係〉を物質化することは出来ない。
故に、私たちは、『大家族主義』を組織理念とするのである。
又、私たちは<ひとりでは生きてゆけない>ことを自覚しているから会社という組織で働いている。それならば、仲間に興味を持ち、お互いにお節介になり、お互いのちがいを承認し、励まし合い、褒め合い、叱咤し合い、それを楽しみとしてゆくことは、私たちの義務である。私たちは、『大家族主義』という義務を、組織理念を、これからも果たし続けてゆくことで<家族のような信頼関係>を物質化してゆくのである。

(※1)強い意思とは、情熱の持続の意。

(※2)行動とは、かつて、近所のオッチャンやオバチャンが子供たちを寄ってたかって面倒を見、かまっていた、その行動の意。

報連相

報・連・相とは・・・
報告・連絡・相談、その略語である『報・連・相』。
会社という組織で仕事をしている私たちは、すべての事象に対して、会社組織で事に当たらなければならない。
会社組織において、部下は上司に『報・連・相』をする義務があり、上司は部下から『報・連・相』を受ける権利がある。
ところで、この『報・連・相』、少々誤解を受けている。
「ほうれん草」という食べ物があるばっかりに、『報・連・相』という字の並びになってしまっているが、実際は『相・連・報』なのである。


何か事が起こりそうであれば、もしくは起こりそうなイヤな匂いがするのであれば、部下はまず上司に「相談」をしなければならない。
「相談」を受けた上司は、部下に指示を与える。 部下は上司の指示を行動に移す。
このようにして、『報・連・相』、否、『相・連・報』はスタートする。つまり、「相談」がなければ、『報・連・相』はスタートしないのである。
上司に「相談」をしない部下がいれば、その組織はもはや形骸化している。『報・連・相』は、会社組織にとっての血液である。血液が回らなくなれば、肉体は壊死してしまう。同様に『報・連・相』が回らなくなれば、会社組織は形骸化してしまう。
だから、上司に「相談」をしない部下がいれば、上司は、「一人で生きていけないから会社組織で働いている私たちに、相談をしない権利などないんだよ」と、再度初心を説いてあげなければならない。
「相談」をしなかった理由を、「うまいこといっておおごとにはならないと思ったので相談してませんでした。しかし、おおごとになった今、こうやってちゃんと相談してます」と、頓珍漢なことを言う部下がいる。
こういう手合いの部下は、もう何も手を打つことができない最悪の事態に至って初めて上司に「相談」をする。しかしこれは真の意味での「相談」ではなく、最悪の「最終結果報告(報告)」に過ぎない。
「相談」はイヤな匂いがしたらする。「まだトラブルにはなっていないんですけど・・・」で始まる「相談」が、イヤな匂いの段階でする「相談」だ。「相談」は、会社組織として手が打てるうちにするのだ。仕事は賭け事ではない。うまくいかなかったら「相談」する、では軽すぎる。当事者意識がなさすぎる。
当事者意識のない軽い感覚で仕事をしてはならない。当事者意識のない軽い感覚で仕事をしているひとは、本人には一見ミスがなくても、二三年に一度は大きなトラブルに巻き込まれる。理由は簡単だ。当事者意識のない軽い感覚で仕事をしていたから、トラブルを呼び込んでしまっただけのお話だ。


さて「相談」の次に、部下が忘れてはならないのが、上司への「途中経過報告(連絡)」。「相談」と「最終結果報告(報告)」を繋ぐ「途中経過報告(連絡)」だ。
与えられた指示の進捗状況を、部下は上司に「途中経過報告(連絡)」する。上司からの指示を行動に移せていない場合も、部下は上司に、指示を行動に移せていないことといつ行動に移すのかという計画を「途中経過報告(連絡)」しなければならない。
「途中経過報告(連絡)」を受けた上司は、部下の行動を検証し、再度、部下に指示を与える。 部下は、再度、上司の指示を行動に移す。
そして事が片付けば、部下は上司に「最終結果報告(報告)」をして終わり。片付いていなければ、再度、上司へ「途中経過報告(連絡)」。このようにして、『報・連・相』、否、『相・連・報』を回し続けることで、私たちはすべての事象に対して、会社組織で事に当たることが出来るのである。

承認欲求(自尊心)を満たし合ってゆく(マズローの欲求五段階説、5S)

承認欲求(自尊心)を満たし合ってゆくとは・・・
アメリカの心理学者アブラハム・マズロー(1908年4月1日~1970年6月8日)は、心理学における二十世紀最大の発見と呼ばれる「マズローの欲求五段階説」で、人間の欲求は、スロープのように徐々に上がっていくようなものではなく、階段のように一段ずつ上がっていく、つまり、人間の欲求には五つのステージがあるとした。
弊社の組織理念のひとつ『承認欲求(自尊心)を満たし合ってゆく』は、そこからの引用である。
他者から認められると、他者から敬意を払われると、人間は「承認欲求(自尊心)」が満たされる。
「承認欲求(自尊心)」が満たされると人間には、さらに自分の自尊心を高めたいという欲求が生まれる。
この欲求は「自我欲求」と呼ばれ、「自我欲求」のステージにいる人間は、さらに自分の自尊心を高めたいという非常にモチベーションの高まった状態になる。
つまり、人間は「承認欲求(自尊心)」を満たされることによって、「自我欲求」という次の欲求のステージに移り、非常にモチベーションの高まった状態になるのである。
「5S」というものがある。
「5Sで品質アップ」、「5Sで不良率0」など、よく生産工場などに掲げられているアレである。
「整理(要るものと要らないものにわけ、要らないものを捨てる)・整頓(要るものを一カ所管理する)・清掃・清潔・躾(挨拶の励行など)」のアルファベットの頭文字「S」5つで「5S」である。
「5S」によって効率がアップするから、「5Sで品質アップ」、「5Sで不良率0」になるのではない。
「5S」で、自分の身の回りを常にきれいにし、他者に気持ちの良い挨拶をおこなったとしても、効率はよくならない。
一人暮しをされたことがある方は、あなたの枕回りに置かれていた夾雑物を思い出してもらいたい。
読みかけの雑誌、携帯電話、ペットボトル、リモコン、ティッシュ・・・整理整頓なんかしてしまうと、かえって利便性(効率)を損なったあの頃のことを思い出してもらいたい。
それでは何故、「5Sで品質アップ」、「5Sで不良率0」がなされるのか。
「5S」で自分の身の回りを常にきれいにし、他者に気持ちの良い挨拶をおこなうとは、自分の回りの方々に敬意を払うという行為と同じだ。
つまり「5S」とは、他者に敬意を払う行為のことなのである。
先ほど説明した「マズローの欲求五段階説」のとおり、他者から敬意を払われると、人間は「承認欲求(自尊心)」が満たされる。
「承認欲求(自尊心)」が満たされると、人間は「自我欲求」という次の欲求のステージに移り、さらに自尊心を高めたいという非常にモチベーションの高まった状態になる。
これでお分かりだろう。「5S」で効率がよくなるから、「5Sで品質アップ」、「5Sで不良率0」がなされるのではない。
「5S」で他者つまり仲間のモチベーションが高まるから、「5Sで品質アップ」、「5Sで不良率0」がなされるのである。
『承認欲求(自尊心)を満たし合ってゆく』と、「5S」を励行してゆくと、他者に敬意を払ってゆくと、他者つまり仲間のモチベーションは高まる。他者つまり仲間の集合体である組織のモチベーションも、必然、高まる。
モチベーションの高まった組織のみが、様々な改善を現実のものとし、大きな成果を得ることができる。
だから、私たちは、『承認欲求(自尊心)を満たし合ってゆく』のである。